略歴

ロベルト・ボッレはイタリア人のバレエダンサー。
完璧なテクニックとエレガントな表現力に加え、その麗しい容姿で特に本国イタリアで絶大な人気を誇る。パートナーとなるダンサーからの信頼も厚く、世界中のプリマバレリーナから相手役として望まれる現代を代表するダンスールノーブル。鍛え上げられた肉体と美貌、高い芸術性によってしばしば「踊るギリシャ彫刻」に例えられる。

1975年3月26日、イタリア北西部、ピエモンテ州カザーレ・モンフェッラート生まれ。
テレビで見たバレエに魅せられて5、6歳の頃からダンスへの興味を示し始め、本人の強い希望で7歳から地元ヴェルチェッリのバレエ教室に通う。11歳でミラノ・スカラ座バレエ学校のオーディションに合格し、同校へ入学。親元をひとり離れ、下宿先から通学しながらバレエと一般教科の両方を学ぶ。
バレエ学校在学中の1990年、当時15才のボッレの稽古を偶然見たルドルフ・ヌレエフがその才能を見いだし、「ヴェニスに死す」の美少年タジオ役に抜擢するが、バレエ団の規約等が障壁となり出演は実現しなかった。この時のヌレエフとの出会いによってダンサーの道を進む決意が固まった、と後にボッレは語っている。
1994年スカラ座バレエ学校卒業と同時にスカラ座バレエ団に入団。
入団2年目の1996年、「ロミオとジュリエット」のロミオ役を演じて認められ、当時のバレエ監督エリザベッタ・テラブストにより、21歳でプリモ・バレリーノ(プリンシパル)に任命される。この昇進をきっかけに、イタリア国外で踊る機会が増え、国際的バレエダンサーとしての活躍が始まる。それとほぼ同時にスカラ座バレエ団を退団。以降はフリーランス・ダンサーとして、活動拠点のスカラ座やイタリア各地の歌劇場へ出演するほか、各国の名だたるバレエ団に招かれて客演し世界中の劇場で踊っている。
1998年12月からスカラ座のレジデンシャル・ゲストアーティスト、2003-04年シーズンよりエトワール。英国ロイヤル・バレエ団のゲストプリンシパル、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルもつとめる。

1997年イングリッシュナショナルバレエ「白鳥の湖」(ロイヤル・アルバート・ホール)への出演で英国デビュー。同バレエ団のディレクター、デレク・ディーンはボッレの為に「白鳥の湖」と「ロミオとジュリエット」を制作し、いずれもロイヤル・アルバート・ホールで上演されている。英国ロイヤル・バレエへの初出演は1999年。ロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)改修後の再オープニング時の上演作品「くるみ割り人形」でダーシー・バッセルのパートナーをつとめた。その後、2000年10月ロイヤル・オペラ・ハウスのシーズン開幕を飾ったアンソニー・ダウエル版「白鳥の湖」や、2003年3月ナタリア・マカロワの新作「眠れる森の美女」の初日(コヴェント・ガーデン)など注目される演目を含むロイヤル・バレエ団の数多くの公演にゲストプリンシパルとして出演している。

2000年11月マイヤ・プリセツカヤ75歳記念祝賀行事に招かれ、プーチン大統領が臨席するボリショイ劇場へ出演。2003年7月にはサンクトペテルブルグ建都300周年を記念してマリインスキー劇場で行われた英国ロイヤル・バレエ団「白鳥の湖」に出演する。マリインスキー劇場で開催の国際バレエフェスティヴァルには、第3回(2004年「マノン」「エクセルシオール(ガラ)」、第4回(2005年「アポロ」)と連続して出演している。

2002年6月1日英国女王エリザベス2世戴冠50年記念音楽会では、バッキンガム宮殿内の壮麗な大舞踏室で「白鳥の湖(黒鳥のパ・ド・ドゥ)」を踊る。
2004年3月サンレモ音楽祭においてレナート・ザネッラ(ウィーン国立歌劇場バレエ監督)がボッレの為に振付けた「火の鳥」を踊る。
2004年4月1日「若者の日(ワールドユースデー)」記念祭では、バチカンのサン・ピエトロ広場にてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の前で踊った。

2004年5月ヌレエフ版「ドン・キホーテ」でアニエス・ルテステュのパートナーとしてパリ・オペラ座へ初出演。同年12月には「眠れる森の美女」にも招かれる。
2004年7月ロイヤル・バレエ団アメリカ公演への出演で米国での初舞台を踏む。
2006年2月10日トリノ冬季オリンピックの開会式では、イタリアを代表する国家的アーティストとして「イタリアの情熱(未来派の時代から未来へ)」で主役ダンサーをつとめ、全世界に中継された。
2007年6月にはアレッサンドラ・フェリ引退公演の相手役としてアメリカン・バレエ・シアターに招かれ、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で「マノン」「ロミオとジュリエット」を踊った。

「ロベルト・ボッレ&フレンズ」の名称で、世界中の名門バレエ団から集まったダンサーらとともに定期的にオリジナルのガラ公演を行っている。イタリア各地の歌劇場の他、2005年7月17日に愛知万国博覧会(愛・地球博EXPOドーム)で、また2006年7月5日には中国北京でも公演した。2008年にはローマのコロッセオやシチリア島アグリジェントの神殿の谷・コンコルディア神殿といった世界文化遺産を会場に公演を開催し、その収益はイタリア環境基金 (FAI) の文化遺産保護のための活動資金に使われている。

また、オペラの国イタリアのダンサーとして「アイーダ」「モーゼとファラオ」「ジョコンダ」「見出されたエウローパ」などオペラ作品の中のバレエ・シーンでも踊っている。1998年カイロ新歌劇場の創立10周年を記念してギザの大ピラミッドの前で大スペクタクル版の「アイーダ」が上演された際にも出演した。

その他、カナダ国立バレエ、フィンランド国立バレエ、シュツットガルト・バレエ、ベルリン国立歌劇場、ミュンヘン歌劇場、ドレスデン国立歌劇場、ウィスバーデン・フェスティヴァルなどにも出演している。

1999年に24才で国際連合児童基金(UNICEF)のイタリア親善大使に就任以来、チャリティー公演や募金キャンペーンなどを通じてユニセフの活動に積極的に貢献している。
また、ファッションデザイナーや写真家らによってモデルとして起用され、ファッションショーやファッション誌、広告などへ登場することも多い。これまでもアルマーニ、ドルチェ&ガッバーナ、スイス時計ロンジンなどのイメージキャラクターをつとめてきたが、フェラガモの創立80周年にあたる2008年には秋・冬コレクションのイメージモデルとして起用されキャンペーンや記念イベントに参加している。

受賞歴

ダンツァ・エ・ダンツァ賞 1995
ポジターノ賞 1995
ジーノ・ターニ賞 1999
ガリレオ2000賞(金の五線譜賞) 2000
ダンツァ・エ・ダンツァ賞 2001
バロッコ賞 2001
ポジターノ賞 2001
アックイ・テルメ賞 2003
地元の功績者オスカー賞 2004
銀のチェッケッティ賞 2005
アックイダンツァ賞 2005
金の葉賞 2005
ティグッリオ湾賞 2005
オルフェウス賞 2005
ダンツァ・エ・ダンツァ賞 2006
金のパッラーディオ賞 2006
友情の十字章 (文化部門) 2006
キンボ・ヒューマニスト・アワード賞 2006
マンフレドーニア市特別賞 2006
ミラノ・ペル・ラ・ムジカ賞 2007
オペラの友賞 2007
デ・シーカ文化賞 (ダンス部門) 2008
外国におけるイタリア文化普及による金のメダル 2009
金のエニシダ賞 2009
イタリア映画祭 (ロサンゼルス) 優秀賞 2011
イタリア共和国功労勲章〈騎士勲章(カヴァリエーレ) 〉2012
国際連合教育科学文化機関賞 (ユネスコ文化多様性メダル) 2014
アンブロージョ金賞(ミラノ市)2015